なぜ私たちは祈るべきなのか−誰に祈るのか?
“なぜ祈るべきか”に答える前に、誰に祈るかを理解しなければなりません。神おひとりが全ての創造主であり主権者です。そして御子イエス・キリストおひとりが神へとつながる道なのです。慈しみと、赦しと、驚くべき愛である天の神おひとりが、私たちの祈りに答える事が出来るのです。 -
神には全てが可能です。イエスはマルコ10:27でこう言っています、“それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。”
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ダニエル9:18では、“私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。”(あわれみとは好意、思いやり、親切を表す。)
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最終的な神の愛の証明とは、罪人である私たちひとりひとりを赦す事です。“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。”(ヨハネ3:16−17)。
これらのことを成し遂げたのは神であり、神のみが出来る事です。しかし神の敵である悪魔は、あらゆる虚偽の神々を送り人類をだましました。今も生きてい、唯一の真の神以外の何ものをも優先する事のないように、誰からも、またどんなものからも騙されないように見張りましょう。
なぜ私たちは祈るべきなのか−何のために祈るのか?
祈りは神に繋がる鍵です。祈りは神と真に個人的な交わりを持つ方法です。 -
祈りにより、かれは神であると認識し、神の素晴らしいギフトであるイエス・キリストを主であり救い主であると受け入れるのです(創世記17:1、ローマ6:16−18)。
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祈りは私たちの罪を告白し、神の赦しを受け入れるのです(ローマ3:23−26)。
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祈りは、聖霊が私たちを導かれ、私たちの人生が喜びで満たされるようにと神の御心が成されます(箴言2:6−8、3:5)。
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いつも祝福してくださる神に感謝の祈りをささげます。(ピリピ4:6)。私たちが病気のとき、孤独なとき、試練を通っているとき、また他の人々のために執り成しの祈りをします(ヤコブ5:14−16、第二コリント12:9−10)。
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賛美で神に祈りをささげます(詩篇95:6−7)。
祈れないものなど何もありません。聖書には、祈りについて十分な参考があります。聖書は私たちに、こうも言っています“休むことなく祈りなさい”また“全てに於いて主に感謝をささげなさい。”私たちが肯定的な態度を選び取るとき、沢山の祝福を受け取っている事に気づき、神を褒め称えます。
祈りのコミュニケーションで、私たちは神との親密な交わりを発見します。信仰で神の御前に出るなら、神は私たちの祈りを聞き、それに応答してくださると知るのです(第一ヨハネ5:14)。神が私たちの必要を知っていて、益になる方法も知っている事に確信を持ちましょう;ですから、神を求めるとき、御心が成されるように祈りましょう。その事が成される前であっても神に感謝をささげます。
なぜ私たちは祈るべきか−どのように祈るのか?
イエスは弟子たちに、私たちが“主の祈り”と呼んでいる(マタイ6章)模範を示しました。
さらに、へブル4:14−16では大胆に祈りなさいと言っています―“さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できないお方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。”
何にもまして、全能の神の御前に遜り、真剣に、尊敬の念を持って祈りましょう。“ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります”(ヤコブ5:16)。
祈りについてもっと学びましょう!
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